BEANSBOOK 8

『愛の弔い』                      永田 早紀

 

お砂糖なしではコーヒーの飲めない人だった。

コーヒーを淹れてくれるのはいつも彼で、必ずお砂糖も入れてから私に出してくれた。

甘くて、何より彼が淹れてくれることが嬉しくて、どんな飲み物よりも一番美味しかった。

 

最後の日もそうだった。

散り始めた桜が雨粒でさらに散っているのが、窓の向こうに見えた。泣いているのは一体誰だろうと思った。

別れ話を切り出す前に、彼はおそろいのマグカップにコーヒーを淹れた。

味はわからなかった。

ただ甘かった。甘かったけれど苦みが残った。

 

あれから一年。

たった一年だというのに私の髪は伸び、似合う服の色が変わってしまった。

薬指の指輪を触る癖もなくなった。

コーヒーはブラックで飲むようになった。

 

だけど、あの日を思い出すとまだ泣いてしまうのはなぜだろう。

雨が降るたび、あの日、窓の向こうに見えた濡れた桜並木を思い出す。

 

小さなカフェで一人、雨粒の光る窓を眺めながら、ぼんやりと思い出す。

手にはブラックのコーヒー。

窓の向こうに焦点を切り替えると、彼に似た人影。

懐かしい。

 

スマートフォンには、まだ彼の番号が残っている。

指先でそっと触れればすぐに繋がる。

 

彼なら出てくれる。

そして「どうした?」と聞いてくれる。

どんなことも、受け止めてくれる人なのだ。

だから。

 

私はそっと画面に触れる。

 

そして、彼の番号を消した。

 

これで糸は完全に切れた。

もう戻れないことは私が一番良く知っていた。

 

コーヒーを口に運ぶ。

お砂糖のないコーヒーが美味しかった。

 

【END】